ファシリテーションがあるとないとで、全然違う2時間

昨日は震災から丁度4ヶ月目。

仙台の友人は、セラピストとして震災のショックを受けた人々を癒やす仕事に専念しています。福島の友人は、経営する歯科医院にくる患者さんを日々元気付けている様子。
着実に前に進んでいる友人達。

あれから、自分はどれだけ前に進んだのでしょう。。
震災以後、自分に何ができるか、なんてことを考えるのもおこがましいと思っていました。せいぜい募金することが精一杯で、震災ボランティアなんて自分には無理って思っていました。そんなことより、目の前の日常を粛々とこなしていくことが自分にできる最大の支援と思っていたくらいです。
これは、それに向き合わないことへの正当化でしかなかったかも・・って思い始めてどれくらいか経つか。

震災から4ヶ月目の昨日、とある会議のお手伝いをしました。復興支援に絡んだ会議です。
ファシリテーションが復興支援にどう役立つのか考えたくて。
今回は二回目のお手伝いになります。

前回の会議室は、ディナーショーができるほど大きな部屋、会議室というよりホテルの宴会場のような。その中心に大きなコの字型にセットされたテーブル。その後ろに並ぶ椅子椅子椅子。コの字型のテーブルを挟んで左右に、省庁のお役人さんたち、反対にはボランティア団体の人たち。

真ん中にぽっかり大きく空いた空間が、その心の距離を表しているかの様でした。

帳合作業をした資料が130部だったので、それくらいの人が集まったのだと思います。
でも口を開いた人は限られていて、且つ、短い。その短い時間に吐露するように吐き出された言葉は、届くべき人に届いているのだろうか?・・・なんてことを感じた会議でした。

昨日の会議室は、その3分の一くらいの大きさだったかな。いや5分の一かな。
震災ボランティアやNPOの方たちが沢山いらっしゃいました。

まずはシアター形式に椅子を並べて全体インストラクション。
その後、テーマ毎にグループになって、ディスカッション。
各テーブルにはファシリテーター(議論を促進する役割の人)がいます。

私は、話し合いを視覚化する係。グラフィッカーです。(ファシリテーション・グラフィックといいます)まぁ書記のような役割ですが、ちょっと違うのは、みんなから見えるところの壁に貼った模造紙に描いてくってところでしょうか。

前回の会議とは、打って変わって、活発な話し合いの場だったと思います。
隣のテーブルのディスカッションで、自分のテーブルの声が聞きとれないくらいでしたから。。。

テーブルによっては、省庁政府に対してどんな提案を作るか、というアクションプランまで作り上げたグループもありました。その提案は、次回の会議で、本当に届くべき人に届けられることでしょう。

同じニ時間でも全然違う時間。

やれないことをやろうとするから無理と思うのであって、自分にできることをやればいいんじゃないか。
・・・とすると、案外できることは一杯あるかもしれない、と思った時間でした。