集団の中に生まれた傷を大切にオルタナティヴなストーリーを育む大切さ

昨日は、読書会。
読んだのはこの文書↓のIntroductionとConclusion。
『Graham Smith and Tim Hughes (eds.) Democracy in a Pandemic: Participation in Response to Crisis, University of Westminster Press.
(グラハム・スミス、ティム・ヒューズ編『コロナ禍の民主主義:危機対応における参加』ウェストミンスター大学出版会)』

昨日の論点は、この文書のまとめ的な最後のメッセージ文。
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We need a process that embraces a participatory and deliberative ethos, reaching out far-and-wide to understand the lessons from across society, helping us process our collective and personal trauma, and providing the foundations for us to build our futures together.
我々は参加型・熟議型の精神を持った、社会全体からの教訓を把握する広い働きかけ、我々の集合的・個人的なトラウマを処理する支援、そして、共に未来を築くための基盤の提供、というプロセスを必要としている。
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We need a process と helping us process
同じprocessだけど、意味が違う。

色々読書会、主催したり参加したりしてますが、一人で読むのとは全然違うものが得られます。
ましてや英語だったりすると、一人では全く読めないので、別の意味でもホント仲間の皆さんに助けられますが、特に今回は、英文を解釈する先生たちのすごさと読み取りの深さに感嘆。
読書会は本をクリティカルに読むことである、って大事なことを学ばせてくれます。

私、「集団的・個人的なトラウマを処理する」ってところが気になってしまって・・。
そしたら、「トラウマって個人のものだから集団的ではない」とおっしゃる方がいたり。
また、「トラウマは処理しちゃだめでしょ~。大切に扱うものだよ」っておっしゃる方がいたり。
なんて面白い!

トラウマを個人のものとして処理してしまうことの危うさってあるな~とつくづく感じます。
トラウマという言葉から個人の精神的な問題と捉えられがちですが、集団的なトラウマだってあります。
つまり、ある集団:グループの中における関係性の問題から発生したことってのは、集団をひとつの生命と捉えるならば、その生命体の心が傷ついているってことだから。
これ、とっても大事なグループプロセスです。

そんな大事なグループプロセスを「個人の問題」として「処理」してしまうから、そこからどんどん別の傷:課題が連鎖していく。(傷に蓋してもじわじわと浮き上がってくる)
一度傷ついたものは、実はそんな簡単には消えない。
だからこそ、集団の中に生まれた傷を大切に扱いながら(無視しないで)オルタナティヴなストーリーを育む対話=「参加型・熟議型の精神を取り入れたプロセス」が必要。
そのプロセスこそが、その傷と共に生きていく時の力になるのだから。