ニュージランドでナラティヴの学び、再び。

2019年にニュージランドのナラティヴの学びに飛び込んで以来、その魅力にはまって学び続け、4年間学んできました。そして現在、実践トレーニングコースでもトレーニング中ですが、この夏再び、ニュージランドに飛ぶことにしました。
なぜまた行くことにしたのかというと、それなりに学び続けてきたからこそ、今一度、ニュージランドのレクチャラー達の言葉で聴きたかったから。そうすることで今まで以上に深い理解と体験をしてみたかったから、です。もう一つは、娘が共にニュージランドに来てくれることになったから、というのも大きい理由になります。
19年に行った時と、変わらない空気と、ちょっと違う空気と、両方を感じながら、新たな仲間たちとの出会いもあり、共に語り合うことを通して、よりナラティヴが大好きになっていく私が居ました。

今回特筆すべきことは、ハミルトン・イースト小学校を見学したことです。
歓迎のハカの儀式もさることながら、個性ある先生たちの教室づくり。リアルな授業の様子を見せていただきました。
この学校には、白人以外にも、原住民マオリ族の子もいれば、アジア系の子どもたちもいて、そしてなんと日本人の先生もいます。
日本の学校のように均一化した雰囲気、統率された印象はまったくないけれど、何より子どもたちのいきいきとした姿が印象的です。
まさに、Diversity and inclusion そして、Holisticの実践を目の当たりにできる経験は貴重そのものでした。
大切だなと思ったのは、ここが必ずしもニュージーランドの学校の当たり前ではないということ。本質主義を否定するわけではありませんが、多様な世界を受け止め活かし合うことの難しさは、まだ根強く残っているということです。
でもこんな小学校があるということが希望につながります。

そして今回も5人のレクチャラーから学ばせていただきました。

初日は、ポールとエルマリーのお話からスタートしました。
一人目のレクチャラー、ポール。ナラティヴといえば外在化のお話をしっかり丁寧に語り聴かせてくれました。
印象に残っているのが、「関係性の質をカウンセラーは自分自身に常に問いかけている」という話。
クライアントへの敬意と共に、カウンセラーとはフラットな地に立って共に歩む関係性であること。そして、一緒にworkしていくことが出来る関係性を保持する、作っていくこと。
このあたりは、組織開発のファシリテーションを担う人々における倫理観で謳われていることともかなり通じ合うところであり、自分の問いによる影響について常に自覚的であることの重要性を問われているように思いました。

二人目のレクチャラーは、エルマリー。「イエロードレス」の論文を書いたアンジェラという愛弟子と共に、「なること/ becoming」のお話。
エルマリーは、ワイカト大学のシニア・レクチャラーであり、ナラティヴを専門に教えている大学院および博士課程で、ナラティヴ・セラピストの養成に関わっている方です。
今回はアンジェラがイエロードレスと共にドミナントストーリーに抵抗し、「妹になる」というプロセスを体験したことが綴られている博士論文をベースに学び合いました。
自身の人生の中でどんなドミナントストーリーへの抵抗を表現したのか、そこにどんな意味(アイデンティティ)が込められているのかを語るところから、行為の風景と意味の風景(アイデンティティの風景)がつながり、その人自身の希望、夢、価値観というものが具体化され、その人がなりたい人に「なっていく」というところにつながっていく・・・そんな理解をしています。

三人目のレクチャラーは、ジェニー。ジェニーはフーコーの研究者です。
フーコーという哲学の難しさは変わらずありました。でも、全てが全くチンプンカンプンというのとはちょっと違う感じになっているのは、これまでの4年間で学んできたことが少しは蓄積していると思いたいです。
勿論、分かったつもりになってしまうことではないのですが、近づけている感覚は嬉しいですね。
Power is exercised, rather than possessed.
「力」は所有されるものではない。だから動く可能性があるのだ。
この言葉が響いています。支配だと一方通行ですが、行使はどちらからも動かせる可能性があって、希望を感じます。

四人目のレクチャラーは、ドナルド。修復的実践のお話です。ドナルドは、1対1のカウンセリングだけでなく、グループ(2人以上)を対象にしたナラティヴ・プラクティショナーです。
初めて会った時から、私にとってドナルドはカウンセラーというより、ファシリテーターそのもの。まさに、私がナラティヴを学び続ける理由がここにあって、私がナラティヴを学び続ける一つのロールモデルです。彼のスタイルの実践が目下の目標でもあります。
今回もそのスタイル眼を惹きつけられてしまいましたが、それ以上に「認証」というものがドナルドのプロセスの中に意識することが出来て、よりこのプロセスの価値を感じました。
自分なりにやってみたこともお話できて、「大変難しいことにチャレンジしているのですね」と認証してもらえたことも大変嬉しいものでした。
引き続き、強固なグループへの働きかけを形にすべく精進します。

五人目のレクチャラーは、ゲイル。質問・問いについてのお話です。
ドナルドとは違うキャラクターですが、同じくファシリテーター的要素が自然と醸し出されてくるレクチャラーです。
ゲイルの、講師と学び手との間にある「呼吸」を大切にしてくれる感じが大好きです。
響いた言葉は、「ポストモダンの考え方が、どのような質問をするかにかかってくる」それが「not yet said〜まだ言われていない言葉(でも聴かれたい言葉)を聴くこと」につながる、ということ。
ナラティヴでお話を聴くにあたって、あらためてこれからも心したいところです。

5人のレクチャラーから学ぶワークショップ、たっぷり5日間あると思っていましたが、あっという間。。
今回語られた言葉の重みを実感できているのは、5人が5人とも実践者だからこそ。そんな方々から学ばせてもらう機会は本当に貴重な時間でした。

そして、ハミルトン最後の日は、可愛らしい洋館風の会場で、Kouさんのハーベスティング・ワークショップ。
一人ひとりをしっかりと中心に据えた贅沢なグループワークとデモセッションを通してニュージーランドでの学びの総仕上げするような時間を過ごしました。
グループプロセスは大事。ですが、メンバーそれぞれを中心化することも大切なんだと改めて気づかされました。
そして、構造化したプロセスを理解・実践できることはとても大事。しかし、実際の会話は構造化されているわけではないので、その構造に囚われることなく、相手を中心に聴く実践は最も大切なんだとこころに刻みました。
さらに、気持ちよく行けそうになった時に”居心地の悪さ”に留まることの重要性。人は居心地のいいところに自然とながれます。それは支援者も同じ。これは心に響きました。

ナラティヴの目指すところは、聴き手が脱中心化しつつ影響力を発揮するところ。まさに、ダンス。
そのためには、やっぱりナラティヴの哲学的背景の理解と現場実践が必要不可欠なんだと心新たにして、学びの時間を終えました。

ずっと通訳してくれていた紫(ゆかり)さん含め、出会ってくださった皆皆さま、最後の最後まで濃密な時間を本当にありがとうございました。